私が死んでも代わりはいるもの。
自分が突然居なくなったらどうなるだろう、てなことを近頃よく考えます。
仕事やりかけで居なくなったら周りの人はどうするんだろう、とか。
誰かから借りてるもの貸してるものが少なからずあるはずだけど、どうなるんだろう、とか。
山ほど持ってるゲーム、本、人形、CD、DVDを父母はどうするんだろう、とか。
仕事は他の誰かが引き継いでやることになるのだろうけど、そうしたら机の中にあるノートとかは役に立つだろうか?
きちんと資料としてまとめてある訳じゃないからあんまり役に立たなさそう。そもそも元々私が引き継いだときから大した資料も無かったんだから、何も無くても誰かが何とかするんだと思う。
そうしたら前にやっていた人がどうだったかとかは関係なくて、誰だっていいことになる。
契約終了とか転職とか退職とか引越しとか結婚とか。
ひとが突然居なくなることなんていくらでもある。
そんなものは存在しないのかもしれないけれど、
いまここに居るのが自分である理由が見つからない。
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コメント
私も代わりのきかない人間になりたいんです。
だからがんばっているんです。
今ここに居る理由なんて
それだけで充分です。
投稿: Jangary | 2004.12.21 01:22
どういう自分になりたいのかを見失ってしまったので現状確認をしてみたら、あれ?何でまだここに居るんだろう?と。
理由が欲しいのはお手軽に安心したかったからで、自分の中を探しても見つけられないのは目標を見失ってるから。
堂々巡りなんですけど、そのうち見つかった気になったり忘れたり本当に見つけたりするんでしょう、多分。
投稿: 来栖川知里 | 2004.12.23 23:18
それならいいです。
でも「居なくなったら」といわれたら
すごく悲しくなるのでやめてください。
投稿: jan-gary | 2004.12.24 00:40
悲しませるようなこと言ってごめんなさい。
声を返してくれて嬉しかったです。
ありがとう。
投稿: 来栖川知里 | 2004.12.24 01:10